糖鎖研究からの創薬 -新しい抗体医薬品の開発を目指して
北海道大学大学院先端生命科学研究院 西村 紳一郎 先生
(医化学創薬株式会社)

アンメットニーズの高い新しい抗体医薬品を創出する

  抗体は侵入してきた様々な抗原(異物)から私たちの身体を守るために体内のリンパ細胞によって産生されるタンパク質であり、液性免疫を担う最も重要な生体高分子です。この抗体が癌や免疫疾患等のいくつかの疾患領域における優れた治療薬や診断薬として臨床現場で利用されており、現在では「抗体医薬」として広く認知されています。抗体医薬はグローバルな医薬品市場においてもその存在感はますます高まっています。リウマチの治療薬であるヒュミラやレミケード、リンパ腫の治療薬であるリツキサン、乳癌の治療薬であるハーセプチン、さらに転移性結腸癌の治療薬であるアバスチンという5つの抗体医薬品はいずれも「世界の大型医薬品売上高ランキングベスト10」に入っており、どの抗体も年間6000億円から1兆円もの売り上げがあると言われています(2012年のデータ)。多種多様な癌はもとより、アルツハイマー症等の脳神経変性疾患、糖尿病等の生活習慣病、さらに感染症に至る多くの疾患において有効な治療薬・診断薬が存在しないため、これらのニーズに応えられる新しい抗体医薬品の研究開発に対する期待感は益々高まっています。

 

疾患特異的エピトープ情報の枯渇が最大の障害となっている

  抗体医薬品の開発にとって、標的となる癌細胞などに存在するタンパク質等の抗原分子が必要不可欠です。特に抗原分子内の疾患特異的エピトープ(抗原決定基)の構造は、抗体が標的抗原分子に結合する際の特異性と親和性を決定づけるため極めて重要な情報です。しかし、ヒトの全てのタンパク質の構造は遺伝子の構造(塩基配列)により直接支配(決定)されており、病気が発症・進行しても発現量以外に基本的な構造にほとんど変化は見られません。つまり、病気と特定の遺伝子の発現量との間に顕著な変化が見られない場合にはタンパク質分子そのものは疾患特異的エピトープになり得ないということを意味しています。最近、この深刻な「疾患特異的エピトープ情報の枯渇」が新たな抗体医薬品の研究開発を極めて困難な状況にしていると言われています。人間の治療に用いられるヒト抗体の作製法や抗体依存性細胞障害活性(ADCC活性)等の薬剤としての抗体分子の機能改良法等、抗体医薬品の製造プロセスに関する技術革新には大きな進展が見られるだけに、新薬としての抗体医薬品の研究開発における最大の課題は「疾患特異的エピトープの発見」に尽きるといっても過言ではありません。

 

翻訳後修飾=病気とタンパク質の糖鎖修飾の関係に注目

  私たちの身体(臓器や組織、これらを構成する様々な細胞、および血液中)に存在するタンパク質の構造と機能は動的な糖鎖修飾等の翻訳後修飾によって顕著に変化する場合が少なくありません。例えば乳癌のバイオマーカー(診断薬)として広く利用されているCA15-3や間質性肺炎の診断に用いられるKL-6は患部の細胞表面に存在するMUC1という巨大なタンパク質の一部が切断されて血液中に漏れ出たユニークな構造の糖鎖によって修飾されたペプチド断片(糖ペプチド)であることが知られています。これらの分子は健常者にはあまり見られない、乳癌や肺炎の患者さんの患部に存在する細胞膜糖タンパク質の特徴的な構造情報を直接反映する良質の「疾患特異的エピトープ」そのものであり、抗体医薬品開発の有望な標的となることは言うまでもありません。 journal20160303p1

 

なにがブレイクスルーとなったのか?

  しかし、このように疾患特異的エピトープとして有望な糖タンパク質やその部分構造である糖ペプチドの構造解析や化学合成には「糖鎖構造固有の大きな壁」が存在していました。私たちが北大で開発したグライコブロッティング法という新技術は、世界で初めて患者さんの血液を用いた大規模かつ高速での糖鎖解析を可能とした「ブレイクスルー」となって「疾患特異的エピトープ」の探索研究を実現させました。臨床グループとのたくさんの共同研究により少しずつですが、糖鎖による翻訳後修飾の仕組みと疾患の関係が明らかになっています。これらの基礎研究の成果から患者さんのアンメットニーズに応えられる抗体医薬品が誕生する日を迎えることが我々が共有する「アンビシャス」です。 journal20160303p2

 

参考書

(1) 石田 功、抗体医薬の開発動向、「抗体医薬品の開発と市場」シーエムシー出版、p1-11(2011)(2) 西村紳一郎、全自動糖鎖解析システムの開発と臨床応用、「臨床化学」、臨床化学会、41巻、p257-258(2012)
(3) 西村紳一郎、糖ペプチドの分子設計と医薬品開発、「ペプチド医薬の最前線」、シーエムシー出版、p25-35(2012)


本稿は北海道大学様発行の「知のフロンティア」第3号より、西村 紳一郎 先生ならびに北海道大学様より格別のご配慮を頂戴し掲載しております。無断転載など著作権を侵害する行為は固くお断りいたします。 
「知のフロンティア」はこちらで全文をご覧いただけます。

  • 試薬販売
  • 質量分析装置を用いた糖鎖解析
  • 蛍光ラベル化単糖組成解析
  • NMRを用いた糖鎖解析
  • 糖誘導体合成と糖鎖合成
  • タンパク質品質管理